本書の内容

メダリストの言葉はなぜ心に響くのか

オリンピック取材7回のスポーツライター・青島健太が
メダリストの24の言葉を徹底分析!

どんなに実力があっても簡単にはメダルを獲れないのがオリンピックの怖さ。
過去のメダリストは例外なく、多くの困難を乗り越えて栄光をつかんできました。

「初めて自分で自分をほめたい」(有森裕子)
「最高でも金、最低でも金」(谷亮子)
「いままで生きてきたなかで、一番幸せです」(岩崎恭子)
「とっても楽しい42.195キロでした!」(高橋尚子)
など、オリンピックに刻まれた名言はたくさんあります。

全人生をかけて五輪に臨んだアスリートは
栄光をつかんだとき、苦杯をなめたとき、何を語ったのでしょうか?
その言葉の裏にはどんな思いが詰まっていたのでしょうか?

日本中を熱くしたメダリストの戦いを追いながら、
彼らが発した言葉と思いに迫ります!

あのとき、メダリストが語った言葉の本当の意味がいま、明らかに!!

あのときなぜ、有森裕子は「初めて自分で自分をほめた」のか?
あのときなぜ、篠原信一は「弱いから、負けた。それだけ」とつぶやいたのか?
あのときなぜ、田村亮子は「最高でも金、最低でも金」と宣言したのか?
あのときなぜ、谷口浩美は「途中で、こけちゃいました」と笑ったのか?
あのときなぜ、北島康介は「ちょー気持ちいい~」とうなったのか?
あのときなぜ、室伏広治は「バレリーナのように投げたい」と言ったのか?



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著者プロフィール

青島健太(あおしま・けんた)

スポーツライター/TVキャスター
1958年、新潟県新潟市生まれ。春日部高校-慶応大-東芝と進み、1985年、ヤクルトスワローズに入団。同年5月11日の対阪神戦(神宮)でプロ野球史上20人目となる、公式戦初打席でホームランを放つ。5年間のプロ野球生活引退後、新しい人生を模索中に、東京・広尾の図書館で知り合ったオーストラリア人との会話がヒントとなり、半年間の研修の後オーストラリアへ日本語教師として渡る。そこで知り合った人との交流を通して、厳しいプロ野球生活の中で忘れかけていたスポーツをする喜びや、楽しみ方を思い出し、スポーツの素晴らしさの伝え手となることを決意し帰国。スポーツライターに転身、現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
1984年ロサンゼルス五輪で公式競技となった野球の日本代表選手として、1983年に韓国・ソウルでアジア予選を戦ったが、出場権獲得ならず(韓国、台湾が出場権獲得。キューバの不参加によって出場を果たした日本が金メダル獲得)。五輪メンバーには選ばれなかったが、五輪予選の厳しさとプレッシャーを体感した。
スポーツキャスター&ライターとして、1994年リレハンメル冬季五輪(NHKキャスター)、1996年アトランタ五輪(TBSキャスター)、1998年長野冬季五輪(TBSキャスター・現地)、2000年シドニー五輪(TBSキャスター・現地)2002年ソルトレーク冬季五輪(TBSキャスター・現地)、2004年アテネ五輪(テレビ東京キャスター・現地)、2008年北京五輪(ラジオ・雑誌等現地取材)の取材を行った。この期間、五輪に出場した選手、多くのメダリストにインタビューしている。
鹿屋体育大学 客員教授/流通経済大学 客員教授/日本医療科学大学 客員教授。
著書に『長嶋的、野村的』(PHP研究所)、『父と子のキャッチボールのススメ』 (スキージャーナル)がある。

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